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静御前

静御前

生没年不詳。1168年~1187年頃と考えられる。磯禅師の娘(6歳で父を亡くす)。 磯禅師は白拍子の祖とされる女性で、静も白拍子となった。
源義経の愛妾。

性格:一途で穏やかな性格

●義経との出逢い
1182年7月、京の都では日照りが続き人々が苦しんでいた。
後白河法皇は神泉苑の池で100人の僧に読経させたが効果がない、継いで 100人の美麗な白拍子に舞わせ雨を祈らせる。99人まで効果がなかったが、静が舞うとたちまち黒雲が現れ、 3日間雨が降り続いた。静は後白河法皇より「日本一」と称されたのでした。
その時に源義経とここ神泉苑にて初めて出逢ったと伝えられている。

●命がけの舞
1185年(文治元年)、義経が兄・源頼朝と不仲になり、京より脱出した時に静もこれに同行。
しかし翌年吉野山で義経と別れた後、やがて捕われた静は鎌倉・八幡宮に連れ出され、 頼朝の目の前で、関東の繁栄を寿ぐ祝儀舞を舞うよう求められるが、静は義経への想いを恋慕の歌にして舞った。
「吉野山 峰の白雪 踏みわけて 入りにし人の あとぞ恋しき」
吉野の山の峰に残る白雪を踏みわけて、姿を隠していった、あの方(義経さま)のことが、たまらなく恋しい

「しずやしず しずのおだ巻き くり返し 昔を今に なすよしもがな」
しず布を織るための糸が、糸巻きからくり出されるように、静よ、静よ、 と義経さまが何度も名前を呼んだ昔に、戻れる方法はないものでしょうか

頼朝を激怒させるが、妻の北条政子がとりなして助けられる。 この時、静は義経の子を身ごもっていた。

●義経と静の子
頼朝は静の子が女子なら助けるが、男子なら殺すと命じた。
閏7月29日、静は男子を産んだので赤子は由比ヶ浜に沈められてしまう。 静は京に帰され、その後の消息は不明である。
奈良県大和高田市(礒野禅尼の里)で、静御前も母の里に戻って生涯を終えたとする説がある。
埼玉県栗橋町伊坂(旧村名、静村)や淡路島に静のものと伝えられる墓があり、福島県郡山市には、 義経の訃報を聞いた静御前が身を投げたと言われる美女沼や、その供養のために建立された静御前堂がある。

☆ドラえもんの登場人物、しずかちゃんの本名は、源 静香(みなもと しずか)です。義経と静御前の末裔!? 藤子・F・不二雄先生もにくいことやってくれます。

静御前